自分の曲を演奏するたびに「使用料」がかかる…ビートルズの後悔

税金から逃れるために「56曲の著作権」を1500万円で手放した


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001 2022/10/20(木) 09:51:00 ID:QvcQmPeAUc 

〈ロックバンド「ビートルズ」のデビューから60年が経った。世界的なヒット曲を生み出したが、その著作権は長らくメンバーから離れていた。元国税調査官の大村大次郎さんは「高すぎる税金から逃れるために権利を手放したが、それがビートルズを長年苦しめることになった」という――。〉

◆先見の明があったディック・ジェイムズの決断

ビートルズと共同で音楽出版社を立ち上げ、株の半分をビートルズに与えるということは、音楽出版社経営者のディック・ジェイムズにとっては損のようにも見える。

しかし彼は、この出版社にビートルズを参加させることで、彼らの歓心を買い、ビートルズと重大な契約を結ぶことに成功しているのである。

その契約とは「1963年2月末から3年間、ジョンとポールのつくった曲は、すべてノーザン・ソングスに帰属する」というものである。

つまり、ディック・ジェイムズは、1963年から1966年までのビートルズの曲のほとんどの著作権を手に入れたということである。この契約が、のちにどれほどの財産になるかは、当時、だれもわかっていなかった。

ディック・ジェイムズは、非常に先見の明があったと言える。

音楽出版社ノーザン・ソングスを設立したとき、ビートルズはまだ「プリーズ・プリーズ・ミー」の1曲しかヒットを出していなかったのである。それでも彼は、今後もビートルズの曲は売れ続けると見越して、ノーザン・ソングスを立ち上げたのだ。

◆ジョンとポールの「とんでもない税金対策」

ノーザン・ソングスに所属しているのは、ジョンとポールだけだった。この売れ始めたばかりの若い二人の作品を管理するために、わざわざ会社をつくったわけである。

つまり、ディック・ジェイムズは、ジョンとポールの作品は、それだけ大きな価値を生むようになると踏んでいたわけだ。マネージャーのブライアンと同じく、ビートルズの魅力を早い段階から認めていた人物だと言えるだろう。

この先見の明により、ディック・ジェイムズは巨額の財産を手にすることができるのだが、最終的にはジョンとポールに恨まれることになる。

以下ソース
https://president.jp/articles/-/6249…

著作権が本格的に考慮されるようになったのは、15世紀にグーテンベルクによる印刷術が確立するとともに、出版物の大量の模倣品が問題化するようになってからである。

18世紀初頭、イギリスではアン法(クイーン・アン法。1709年制定、1710年施行)で著作者の権利、すなわち著作権を認めた。フランスではフランス革命時の1791年に、大陸法系の国の中では初めて著作権法が制定された。その後、18世紀から19世紀にかけて各国で著作権を保護する法律が成立した。19世紀に入ると著作権の対象は印刷物以外(音楽、写真など)に拡大されていく。

21世紀に入り、テクノロジーの著しい進歩および権利ビジネスの伸張など経済社会の変化を受けた産業保護の観点からの要請と、著作物の自由な利用の要請(時には自由な言論の存続の希望を含む)との衝突が顕著な争点のひとつになっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%…

この後さらに悪どいアレン・クラインに出会ってまた騙される
ポールだけは強硬に反対したが多数決でクラインをマネージャに
こん時の対立がビートルズ解散を決定的にした