

安倍晋三元首相(当時67歳)を手製銃で銃撃して死亡させたとして、殺人罪などに問われている山上徹也被告(45)は28日午後、奈良地裁(田中伸一裁判長)で始まった裁判員裁判の初公判で殺人罪の起訴内容を認めた。
戦後初めて首相経験者が殺害された前代未聞の事件は、発生から3年超で裁判が始まった。被告にどれほどの量刑を科すかが主な争点になる。
被告は捜査段階で、自身が小学生の頃、母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に入信して家庭が崩壊したとし、「恨みがあった教団に打撃を与えようと考え、つながりがあるとされる安倍氏を銃撃した」と供述したとされる。
検察側と弁護側の間では、こうした被告の背景事情をどこまで酌むべきかで対立がある。
検察側は被告の生い立ちを過度に重視すべきではないとする立場だ。銃を用意した計画性や大勢を巻き込む恐れがあった危険性を中心に主張するとみられる。一方の弁護側は、高額献金などが問題となった旧統一教会による「宗教被害」が背景にあったとし、情状酌量につなげたい考えだ。
公判では予備日を含めて計19回の期日が指定されている。弁護側が求めてきた母親や宗教学者のほか、検察側が請求した事件現場の目撃者ら計12人が証人尋問に臨む予定だ。
11月20日以降には被告人質問が実施され、被告が動機や経緯をどう説明するか注目される。判決は2026年1月21日に言い渡される。
起訴状によると、被告は22年7月8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で2回にわたり手製銃を発砲し、参院選の応援演説中だった安倍氏を殺害したなどとされる。【岩崎歩、田辺泰裕】
安倍元首相銃撃事件の初公判【速報中】山上徹也被告、起訴事実を認める…「法律上どうなるかは弁護人に任せます」
2025/10/28 13:30 (2025/10/28 14:57更新)
#安倍元首相銃撃保存して後で読む
安倍晋三・元首相が2022年7月、奈良市で街頭演説中に銃撃されて死亡した事件で、殺人罪などで起訴された山上徹也被告(45)の裁判員裁判が28日午後2時、奈良地裁で始まった。社会を震撼させた事件から3年3か月。山上被告は何を語るのか。法廷の様子を速報する。
被告が殺人罪を認める
山上被告は罪状認否で「私がしたことに間違いありません」と殺人罪を認めた。弁護側は、起訴されている銃刀法違反の発射罪については、手製銃は同法の規制対象ではないとして無罪を主張した。奈良地裁に入る山上徹也被告を乗せた車両(28日午後1時18分、奈良市で)=吉野拓也撮影
初公判が開廷
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初公判が奈良地裁(田中伸一裁判長)で始まった。山上被告は殺人罪を認める方針。主な争点は量刑で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の影響をどう判断するかが注目される。山上被告の初公判を前に、傍聴抽選券を求めて並ぶ人たち(28日午前8時28分、奈良市で)=原田拓未撮影
一般傍聴席は32席、希望者が朝早くから抽選券の配布に列
地裁によると、一般傍聴席は32席。地裁から約1キロ離れた奈良公園春日野園地で午前8時半~9時半、傍聴抽選券の配布が行われた。
傍聴希望者が朝早くから列を作った。
安倍元首相銃撃事件とは
安倍元首相は2022年7月8日、奈良市の路上で参院選の応援演説中に銃撃され、死亡した。奈良県警は、その場で山上被告を現行犯逮捕した。
山上被告は調べに対し「母親の入信で家庭生活がめちゃくちゃになった」と、母親や旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への恨みを述べたという。
約半年間の鑑定留置を経て、奈良地検は23年、殺人罪や銃刀法違反など五つの罪で起訴した。
最大の争点…母親の旧統一教会への多額献金で家庭崩壊、量刑にどの程度反映か
公判は全19回で2026年1月21日に判決が言い渡される見通し。弁護側は山上被告への被告人質問のほか、母親や宗教学者ら5人への証人尋問で、母親の信仰が事件に与えた影響を明らかにする考え。( 母親の証人尋問の実施を伝える記事はこちら )
一方、検察側は、事件を目撃した国会議員や遺体の解剖医ら7人の証人尋問で、殺意の強さや悪質性を立証する。
安倍元首相の妻の昭恵さんは被害者参加制度を利用する。出廷はせず、代理人が法廷で、昭恵さんの思いが記された書面を読み上げる形になる見通し。( 詳しくはこちら )現場で取り押さえられる山上被告(2022年7月8日)
山上被告は中学校ではバスケットボール部に所属し、奈良県内トップクラスの県立高校に進んだ。だが、旧統一教会に入信していた母親が多額の献金で破産宣告を受けたことなどで、人生が暗転した。安倍元首相の国葬会場で黙とうする参列者ら(2022年9月27日、東京都千代田区の日本武道館で)
2022年9月、安倍氏の国葬が営まれたが、その実施を巡り、国民の間で賛否が分かれた。親の信仰で苦しむ「宗教2世問題」もクローズアップされ、東京地裁は、教団を宗教法人として存続させるのは不適切と判断し、2025年3月に解散命令を出した。教団側は東京高裁に即時抗告した。






