藤井聡太二冠が「最後に泣いた相手」? “最年少棋士”伊藤匠新四段(17歳)とは

小3になった伊藤は同い年の藤井との初対戦を大熱戦の末に制し、負けた藤井が大泣きしたのだ。

 付き添いの母親は藤井が泣くのになれているのか、動揺することもなく落ち着いてあやしていた。それでも藤井は泣き止まなかったが、泣きながら3位決定戦を指し、そして泣きながら勝った。負けて泣くのは珍しくないが、泣きながら勝つのは珍しい。私はまだ藤井の存在を知らず、後でこの子は倉敷王将戦で優勝した愛知の天才少年なんだよと言われ驚いた。一方、伊藤は決勝戦でライバルの“こーせー君”に負けて準優勝だった。2012年の大会。小3の藤井聡太は3位(前列右)、伊藤匠は2位だった(前列左)

 藤井はその2012年に小学4年で奨励会入りする。だからあれがアマチュア時代に負けて泣いた、“最後の将棋”かもしれない。

 今年の王位戦第1局が終わった後に藤井にその時のことを聞くと「泣いたそうですね(笑)。覚えていませんが」と笑った。

 あのときの表彰の写真には審判長の森内俊之九段と審判の高見泰地七段が一緒に写っている。私の弟弟子の高見はまだ18歳だった。

 3位だった少年がわずか5年後に、NHK杯トーナメントで森内を負かし、C級2組順位戦で高見に勝って昇級するとは夢にも思わなかった。

高校1年1学期で中退

 伊藤は藤井から少し遅れて、翌2013年、小学5年のときに宮田利男八段門下で奨励会入りする。羽生善治九段も入会したのは小6だから、伊藤の小5での入会は早いほうだ。

 宮田は世田谷で三軒茶屋将棋倶楽部を経営し、子供達の指導に熱心に取り組んでいる。口調は少々乱暴だがとても愛情を持って弟子に接し、奨励会幹事や研修会幹事からは「あれほど弟子思いの先生はいない」と言われている。長らく宮田門下の棋士は生まれなかったが、2017年10月に斎藤明日斗四段が棋士になり、その1年後の2018年10月に本田奎五段が上がった。本田はデビューして1年4カ月後に棋王戦の挑戦者になるという活躍を見せている。

 2017年12月、伊藤は中学3年で三段に昇段する。

 入会以来、私は彼との接点はなく、たまに新宿将棋センターで研究会をしているのを見るぐらいだった。翌2018年の4月ころ、奨励会入会が私の同期の近藤正和六段に伊藤のことを聞くと、「とても真面目で問題ない。だけど頭も良くて進学校に進んだそうだから両立が大変そうだ」と言っていたのが印象に残っている。

 ところが伊藤は1年の1学期のうちに高校をやめて、将棋に集中した。それでも三段リーグは厳しく、毎期勝ち越すものの昇級争いに食い込めなかった。

羽生―藤井戦「おや記録係が伊藤だ」

 その伊藤が高校に入る前、2018年2月のこと。朝日オープン準決勝の羽生―藤井をネットで見ると、おや記録係が伊藤だ。中学校が休みの土曜日だからか。準決勝は2局あるので、藤井戦の記録を務めたのは偶然だろうが、私はあるタイトル戦を思い出した――。広告

 2012年7月、羽生善治九段に中村太地七段が挑戦する棋聖戦5番勝負の第3局、私はその観戦記を書くために島根県江津市有福温泉の「旅館ぬしや」にいた。

 記録係で同行した奨励会員を見て驚いた。都成竜馬三段(当時)ではないか。以前小学生名人戦の記録を調べたとき、2000年の決勝で都成と中村が戦い、都成が勝って小学生名人になったことは知っていた。それが今は中村は24歳でタイトル挑戦者、かたや都成は三段リーグでくすぶっていた。都成は「中村先生」と呼ばねばならない。タイトル戦の記録は志願制のはずだが……。

 結果は羽生が勝って3連勝で防衛し、タイトル獲得数を通算81期に伸ばし、故・大山康晴十五世名人を抜いて新記録を樹立した。メディアが大勢押しかけ記者会見も行われた。

 私は奨励会員はメディアから守られるべきものと考えており、記事にしたことはない。だがたまたま露天風呂で都成と一緒になったので、話を聞くと、「記録係は自ら志願しました。羽生先生の指し回しがとても勉強になりました」と真っ直ぐな目で答え「谷川先生(師匠の浩司九段)と同部屋だったのでとても緊張しました」と苦笑いした。

 都成はそれからも三段リーグで苦戦し続けたが、2016年2月、年齢制限の26歳で念願の棋士になった。そして現在、中村からバトンタッチしてNHK将棋フォーカスの司会者を務めている。中村太地七段(左)と都成竜馬六段

 さて、件の2018年、朝日オープンではあのときよりも多くのメディアが押しかけたが、伊藤は動じることもなく決勝の広瀬章人八段戦の記録係も務めた。目の前で藤井が優勝し、六段に昇段するのをどういう思いで観ていただろうか。

伊藤の父親にお祝いメールをすると……

 同じ2018年の夏、私は高校選手権全国大会を見に、長野県千曲市に出向いた。2010年の合宿に参加した子達が何人も参加していた。

 あの川島滉生くんは並み居る強豪を破って高校1年生ながら見事優勝した。女子で優勝した宮澤紗希さんも合宿に参加したメンバーの1人だ。みな強くなったなあ。2018年高校選手権全国大会、優勝した川島滉生さん(左)と宮澤紗希さん

 そして、今年の9月12日、奇しくも藤井が豊島将之竜王と将棋日本シリーズJTプロ公式戦を戦っている日に、伊藤は関西に遠征して三段リーグを戦い、連勝し14勝2敗の成績を上げ、2局残して昇段を決めた。10月1日付けで四段で、伊藤は10月10日生まれなので17歳での四段となる。何かと同じ年の藤井と比較されるが17歳で三段リーグを勝ち抜いて棋士になるというのはすごいことだ。17歳以下での四段は藤井の前は2014年の増田康宏までさかのぼらなければ出ていない。現役最年少棋士として頑張って欲しい。

 私が伊藤の父親にお祝いのメールをすると「ありがとうございます。親としてはこの7年、とても長かったです」と返事が返ってきた。

 さて、「おめでとう」と連絡しようとした川島滉生は先に伊藤から連絡が来て驚いたという。ツイッターで「僕がたっくんにラインするよりも前にたっくんからラインきてたのには泣いた」とつぶやいた。

 将棋を通じた友情は一生の宝なのだ。