
(長浜浩明)

==韓の編==
(はじめに)(第1章)
◆旧石器時代、韓半島は、ほぼ無人地帯だった。
◆先史時代、人が住んでいたかどうかは、遺跡で分かります。
朝鮮半島では、旧石器時代の遺跡は、50ヶ所程度しか発見されていません。
日本列島では、1万か所に上るというのに、である。
◆この違いを密度で比較すると、半島は1万平方キロメートルに2~3か所、
日本は263ヶ所となります。
半島は、ほぼ無人地帯だったのです。
◆この時点で、「華北(黄河)文化センター ⇒ 朝鮮半島 ⇒ 日本列島」説は、
完全に崩壊したと言えます。
◆さらに、旧石器時代は、約5000年間、ヒトの気配が半島から消えているのです。
◆古代日本人は、シナをも凌ぐ文明を持っていた。
◆沖縄・那覇からは、3万6000年前の人骨と石器が出土し、
宮古島からは、約3万年前の人骨が発見されています。
◆《1万2000年前》
韓半島から人影が消える。
(半島人の絶滅)
◆《7000年前》
無人の韓半島へ縄文人が渡って行く。
◆《6000年前》
日本列島で、熱帯ジャポニカ米が栽培される。
◆土器の無いはずの旧石器時代、世界最古の土器が、下北半島から見つかっています。
◆《9000年前)
世界最古の漆器が、北海道の垣の島から発見されました。
これは、半島など問題外で、シナより2000年も早い漆器でした。
◆高床式も弥生時代に伝えられたものではありません。
約5000年前、青森の三内丸山遺跡で、高床式建物が造られていました。
◆東アジアの文化センターは、シナではなく、日本だったのです。
◆沖縄から縄文遺跡が発見されました。
出土物から、彼らは九州からやって来たことが分かりました。
◆沖縄の22の遺跡から出土した黒曜石は、全て佐賀県産でした。
◆縄文晩期になると、沖縄の8つの遺跡から新潟県姫川産のヒスイが発見されました。
1500キロ離れた海の交易路があったことを示しています。
◆沖縄からシナや半島の土器は出土せず、沖縄は昔からシナや半島とは無縁であり、
沖縄県民の祖先は、日本からやって来たことがわかります。
この事は、DNAからも裏付けられます。
(「日本人になった祖先たち」 NHKブック)
◆沖縄と台湾の先住民には、共通する要素がない。
中国南部の広州の人達とも類似性が認められない。
現在の沖縄の人が持っているハプログループ(遺伝子の単一集団)の種類は、ほとんどが本土日本のものに一致している。
◆アイヌは、縄文人の子孫ではありません。
アイヌは、アムール川河口や樺太に住んでいて、13世紀にモンゴルの攻撃を受け、日本へ逃れてきたことは確かです。
こうして、日本に侵入したアイヌは、トリカブトの毒を鏃(やじり)に塗る「毒矢」を使ったので、
北日本で勢力を拡大し、それが縄文人の子孫と衝突になったのです。
◆北海道や東北の縄文遺跡の民、例えば、三内丸山遺跡の住民は、アイヌではありません。
彼らは、旧石器時代にやって来て、連綿と日本に住み続けた縄文人なのです。
◆《人々は日本から半島へ渡った》
韓半島には、7000~6000年前の縄文遺跡が現れ始めます。
大量の縄文土器と、九州産の黒曜石が出土しています。
(第2章)(第3章)
◆北部九州の人々は、半島を征服したのではなく、無人の半島へ、家族単位で移り住んで行った。
かなりの韓国人女性の祖先は、日本からやって来た。