黄色い猿たちの魔術を、

一つに集約しろと言われれば、

迷わず「RYDEEN」だろう。

一つの時代が終わった。

Rydeen: (Sony Music 公式リマスター)

元々のタイトルは江戸後期の伝説的な力士「雷電爲右エ門」から『雷電』と表記された。 『雷電』には東海道五十三次のような浮世絵のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように、自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言している。

この曲は高橋幸宏が居酒屋(当時流行していたカフェバーという説もある)で歌った鼻歌がきっかけで生まれた。それを気に入った坂本龍一がその場で紙ナプキンに採譜して書きとめ、翌日にはスタジオで原型を完成させていたという伝説がある。

ライブでも頻繁に演奏され、意図的に盛り上がるように作られた曲であるため、この曲が流れ始めると否応無く盛り上がりが最高潮に達する。

当初は「日本的なディスコサウンド」を目指して作られたので「雷電」(江戸時代の名大関・雷電爲右衛門が由来)というタイトルだったが、ちょうど「勇者ライディーン」が海外でも受けていたという話を細野晴臣が聞いて、通りが良いので「ライディーン」にタイトルを変えた。

音構成の詳細:

シンセサイザーは「アープ・オデッセイ」という銘器を坂本が演奏。

(YMOの音をデザインした松武秀樹によるものではなく。当時は、シンセサイザーの音色を作るサウンドデザイナーという職業が存在していた。)この音色が、ライディーンの88%である。

基本リズムは、初期YouTubeの覇者であったガンナムスタイルと同じく馬の滑走のひずめの音であり、これは、細野晴臣が愛用したKORG PS-3100という機材で構成したもの。

浮世絵が、アールデコに与えたような影響力の音楽的実現を、イメージしていたと考えられる。

Re-Shared Comment:

高橋幸宏さんの旅立ちを聞き、世界に冠たる天才の早逝を心からお悔やみします。

1967年夏、僕も所属していた慶応大学の企画クラブ、「慶應風林火山」主催の軽井沢三笠ホテルの『キャンドル・ライト・パーティ』で、彼の演奏を初めて観た時から、彼の才能は目と耳に焼き付いていました。

翌年には東郷昌和くんたちと組んだブッダズ・ナルシーシーに軽井沢のダンスパーティでとか、冬の岩原スキーロッジでも演奏してもらいました。

今でも耳に残るのは幸宏さんの控えめなドラムで昌和くんがむせび泣くように歌う「When a man loves a woman?」です。僕が照明のスイッチを切ることがラストソングのこの歌が始まるサインでした。想いたっぷりに歌う昌和くんのパーシー•スレッジの歌が響く暗闇の中、フロアのあちこちで若い男と女が抱き合ってゆらゆら動くさまは夏の避暑地の夢の中でした。このダンスホールの妖しい空気は若いけど大人の女と男の世界そのものなのに、その空気感を醸し出しているのが中学生だった彼らの演奏で、そこに、中学生を全く感じさせない大人びていて頼もしいというか末恐ろしささえ感じました。

その後、幸宏さんが細野さんとともに世界に羽ばたいた後も、折に触れ、独特のサウンドとメロディを持った彼の音楽センスがますます輝き増していくのを楽しみにしていました。

もう彼の鋭いパフォーマンスを見れなくなったこと生のサウンドを聴けなくなった寂寥を感じています。

幸宏さんの安らかな眠りを祈ります、合掌。

《写真》読売新聞