仲代達矢(なかだい・たつや<本名・元久=もとひさ>)さんが死去した。92歳。

現代日本を代表する俳優で、黒沢明映画のスターとして映画や舞台の第一線で活躍し続け、文化勲章を受章した仲代達矢(なかだい・たつや<本名・元久=もとひさ>)さんが死去した。92歳。
東京都出身。1952年、俳優座養成所に入所。同期に宇津井健ら。ボクシングの経験もある大柄な体軀(たいく)を生かし、大型新人として「令嬢ジュリー」「三文オペラ」などで頭角を現した。56年に「火の鳥」で映画デビュー。「人間の条件」「切腹」(以上、小林正樹監督)、「用心棒」「影武者」(以上、黒沢監督)など多くの巨匠作品に主演。出演映画は米アカデミー賞と世界3大映画祭(カンヌ、ベネチア、ベルリン)のすべてで受賞した。力強い眼光、スケールの大きい存在感で、世界的な
75年には、女優・演出家である妻の宮崎恭子(96年死去)とともに「無名塾」を設立。その後、27年間在籍した俳優座を離れ、後進の育成に力を注ぎ、役所広司さん、若村麻由美さんらを輩出した。
舞台では「ハムレット」「マクベス」などシェークスピア作品に多数主演。2005年から劇団民芸の奈良岡朋子と共演した「ドライビング・ミス・デイジー」では芸術祭大賞(作品賞)。14年秋には81歳にして一人芝居「バリモア」に挑戦。自身と老境の俳優バリモアを重ね合わせるかのような鬼気迫る名演を見せた。
芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞など受賞多数。96年紫綬褒章、07年文化功労者、15年文化勲章受章。
仲代達矢さん「たった75年であの悲劇を忘れたのか」
仲代達矢さん=撮影・根岸聰一郎
俳優の仲代達矢さん(88)は東京でB29による空襲を経験した。目の前で命が奪われていった体験から、俳優人生の中で戦争や争い、あしき体制に対する批判を映画や演劇を通して伝えてきた。「死ぬまで平和を願い、平和のために役者として、人間として頑張りたい」と語る。核兵器禁止条約が発効した今、戦争を知らない若者や政治家に伝えたい思いがある。【聞き手・田中韻】
88年生きて、戦争と平和の二つの時代を味わってきました。戦時中は「日本のために死ぬんだ」「一億玉砕」と戦争教育を受けて、13歳で敗戦を迎えました。それからしばらくの日本は本当に貧乏。私もおやじを亡くしていたので、すさまじい貧乏の中、米一粒を大事に食うといった感じでした。





