世界を魅了する表現者へ──米津玄師

高機能自閉症を抱えていたこともあり、周囲からいじめを受け、塞ぎ込むことも多かったという。

昭和から平成をまたぎ、いまや“国民的アーティスト”のひとりとなった米津玄師。しかしその幼少期には、静かで孤独な時間が流れていた。

孤独と絵に没頭した日々

美術教師だった母の影響で、幼い頃の米津は漫画家を夢見てひたすら絵を描いていた。だが一人で黙々と過ごす時間が長く、自然と友達も少なかった。さらに高機能自閉症を抱えていたこともあり、周囲からいじめを受け、塞ぎ込むことも多かったという。

運命を変えた“音楽との出会い”

そんな少年時代を変えたのが、BUMP OF CHICKENの楽曲との出会いだった。「自分もこんな存在になりたい」──その思いが心を突き動かし、中学2年のときに2万円のエレキギターを購入。仲間とバンドを結成し、文化祭でオリジナル曲を披露するまでになった。

ボカロPとしての躍進

高校に進学すると、当時流行していたボーカロイドを使って楽曲制作を開始。独自の世界観と繊細なメロディで瞬く間にネット上で注目を集め、“有名ボカロP”として名を馳せた。そこから彼の音楽はさらに広がり、いまや日本を飛び越えて世界中で評価される存在となった。

音楽に込める願い

米津玄師が音楽を作る理由について、本人はこう語っている──「自分の音楽がリスナーの心に響き、彼らにとって支えや励ましになってほしい」。幼い頃、音楽に救われた自分自身と同じように、今度は彼が誰かの光になろうとしているのだ。

孤独な少年時代を経て、世界を魅了する表現者へ──米津玄師の歩みは、音楽が持つ力の大きさを改めて教えてくれる。