長州朝鮮人の田布施システム

すでに巷では「田布施システム」とか、「明治天皇のすり替え説」という形でたくさんの本が書かれている。

明治維新は「坂の上の雲」にもよく描かれているように、薩長こと、長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)の下層侍たちがイギリスマネーを基にして起こした「無血クーデター」である。

実際にはたくさんの命が失われた。

その薩長に対して敢然と戦った保守が福島県の会津藩の徳川由来の高級侍たちである。

今の史実は「勝てば官軍」という英米アングロサクソン史観に基づくから、やたらと司馬遼太郎の「坂の上の雲」のように薩長の人間がよく描かれているが、実際は会津の人間の方がレベルがずっと高かったのである。

ただクーデターを起こす目的で、すでに徳川幕府の知らないところで、薩摩と長州は支那貿易や朝鮮貿易を通じて、支那からイギリスまで留学に行って、今のミャンマーのアウン・サン・スー・チーのように、イギリスのエージェントに仕立て上げられたわけである。

この時代、アメリカは南北戦争を画策されてイギリスの植民地支配に対抗するどころじゃなかったから、極東はイギリスの単独支配ができたわけである。

それでアメリカは結果的に出遅れた。

この辺の時系列は実に複雑である。新政府を作るにはその頭がないとできない。

だから、そこに天皇を頂いたわけである。

むろん、このアイデアのモデルもイギリスにある。だから、我が国の天皇制はイギリスの国王女王のシステムを模倣したわけである。

そこで、明治天皇は実際は山口県の田布施の出身の大村虎之助で、孝明天皇の皇太子とすり替わった

だから、孝明天皇の皇太子とは顔貌も身長体重もまったく違っているのである。しかし、当時は一般人は天皇を見たことがなかったから、入れ替わったとしてもだれにもわからなかったわけである。

だから、今の天皇家の系図を確立させた長州藩の子孫が自動的に政府の上に入れるような仕組みができているということである。だから、頭脳ではなく単に血筋で政治家にも首相にもなれるわけである。

だから、バカ田大学出身の安倍晋三でも首相くらいにはなれる。これが「田布施システム」というものである。実際には、長州の仲間だった薩摩の島津藩や西郷隆盛の軍隊を会津の残党である幕府軍あがりを使って、薩摩討伐を仕向けたのも、長州の人間だったわけである。

伊藤博文に代表される連中である。もともと朝鮮人だから、ヒトモドキであまり人間の機微や情というものを理解しない人種である。

だから、非常に残虐なことを行ったわけである。

逆にイギリス人から見れば、「最下層を利用して最上層を破壊する」というアッシリア時代からの伝統芸を用いたにすぎないわけである。

日本でやる前にすでにインドで300年もそういう支配の仕方の実績を積んだのである。支那でもすでにやっていた。そして後は日本だけだったというわけである。その点アメリカ人は若すぎた。

(エ)天皇家の血脈

さて問題は天皇家の系図の複雑さである。

いったいだれがどの天皇の子供なのかまったくよくわからない。

それほどあっちこっちで交雑しているのである。上の講演の中で実に興味深いものがある。それがこれだ。

つまり、皇族が宮内庁病院に入ると死んで出て来るというのである。だから、天皇もたいがいは東大病院に入院するという。

これが腕が悪いやぶ医者だから病死するのか、毒殺されて死ぬのかは分からないが、矢作直樹先生のいた東大病院なら命を助けてくれるから、東大病院のVIPルームに入るのだという。次の興味深いのはこれだ。

支那は近代では明、清と続いた。

だから、明の王族出身がいても何ら不思議ではないが、その子孫である朱貞明の孫だというのである。

ところで、朱貞明とはこの人である。

確かに言われてみれば、この朱貞明と昭和天皇ことヒロヒト天皇は顔がそっくりである。

その次もまた興味深い。これである。

なんと今の天皇、すなわち今上天皇こと明仁天皇は、秩父宮と旅館の仲居さんの子だというのである。

ひえ~~~??? 

若女将ならまだしも仲居さんかいな?

大相撲でも九州場所は博多のたくさんの若女将が力士の周りに集まってくる。

そんな美人の若女将ならきっと明仁天皇ももっとハンサムだったのではなかろうか?

とまあ、そんな妄想をかられる話である。ちなみに秩父宮とはこの方。

そして最後が極めつけの話である。これである。

その後の展開も実に興味深い。以下のものである。

秩父宮は自分の庶子だが唯一の息子を天皇にしたいと思い昭和天皇を暗殺しようとした。他の閣僚などは殺されたが、昭和天皇は暗殺されなかった。本当の皇太子は生まれていたが、2.26事件後昭和天皇の実施の皇太子は秩父宮の庶子の明仁にすり替えられていた。この時点で昭和天皇自分の息子は殺されたと観念して天皇家を存続させるため明仁を皇太子として受け入れた。しかし、昭和天皇の実の長男は生きていて日本の進出していたトゥーレ協会によって匿われた。その子がハイル7世としてヨーロッパに生きていた。

実に興味深い。

ハイル7世の画像は見つからなかったが、昭和天皇の実子がナチス・ドイツのトゥーレ協会に匿われたというのが興味深い。

このトゥーレ協会こそ、ナチスの空飛ぶ円盤を作った組織である。

(オ)天皇家の血筋

さて、この話がどこまで真実かは分からないが、天皇家の血筋を調べたサイトもあるので、一応それもメモしておこう。以下のものである。

いやはや、まったくよく分かりませんナ。明治天皇の孫という方に中丸薫さんもいるし、武田恒泰という明治天皇のひ孫という人もいるし、結構な数の天皇家由来の人達がいるわけである。

とはいうものの、結局は日本が満州、朝鮮、支那と将来的に統治していく時に、その統治される方と縁戚を結ぶというのは、真田丸ではないが、昔から政略結婚というやり方で行われたものである。だから、支那の明や清、朝鮮の李などの王朝と日本の天皇家が親戚関係を結んだとしてもまったく不思議ではないわけである。

いずれにせよ、天皇というものは一つの権威であるから、だれかがつけば保たれるのである。将来的には本当の血筋の本物がつけば良いわけだから、そのための過渡的現象という役割なのかも知れない。裕仁天皇が自分のことを「朕は~~」と終生言っていたのもやはり自分が満州人の血筋であることを誇りに思っていたからかもしれないわけである。当時は、満州、朝鮮、台湾、日本が一つの国だったわけである。

しかしながら、こうして見ると、天皇の祖であるウガヤフキアエズとかの名前を、いまのモンゴル人の鶴竜の本名マンガルジャラビーン・アナンドや白鵬の本名ムンフバティーン・ダワージャルガルや日馬富士のダワーニャミーン・ビャンバドルジや朝青龍の本名ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジなどと比べてみると、意外に似ているような気もするわけである。

それにしても、西園寺八郎が裕仁天皇の実父、東久邇宮稔彦が秩父宮と高松宮の実父、近衛文麿が三笠宮の実父というのは興味深い。大正天皇には子作り能力がなかったのだからしからなかったのだろう。

これじゃ~~、古代の天皇の本当の血筋を引くのは、むしろ我々ごく一般の日本人の方にありそうですナ。

いやはや、世も末ですナ。