

ブラックロック(BlackRock Inc.、NYSE: BLK)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市に本社を置く、世界最大の資産運用会社である[4]。2021年末における同社の運用資産残高(AUM)は10兆ドル(約1,153兆円)と日本のGDPの2倍に相当する[5][6]。世界30ヶ国・70のオフィスに合計18,000名超の従業員が在籍している[7]。ファンドを通じて主要な上場企業の大株主となっており、S&P500種株価指数を構成する企業の80%以上において、持ち株比率の上位3位までに入っている[8]。日本ではブラックロック・ジャパン株式会社としてビジネスを展開しており、365名の社員が在籍している(2020年3月末時点)[9]。
概要[編集]
ブラックロックは債券運用のブティック会社として1988年に設立された。その後、合併や買収を繰り返し、債券運用のみならず株式やオルタナティブ、アドバイザリー戦略など、幅広い金融サービスを提供する総合資産運用会社に成長した。特に2006年のメリルリンチ・インベストメント・マネジャーズとの経営統合により、株式やマルチアセット、オルタナティブのラインナップを拡充した。さらに、2009年のバークレイズ・グローバル・インベスターズとの経営統合により、アクティブ運用を強化するとともに、インデックス運用、iシェアーズ®ETF(上場投資信託)ビジネスを獲得した[10]。株式や債券運用など伝統的な資産クラスではゴールドマン・サックス・アセットマネジメント、JPモルガン・チェース・アセットマネジメント、フィデリティ・インベスメンツ、上場投資信託(ETF)ではバンガード・グループやステート・ストリート、オルタナティブ運用ではブラックストーン・グループ、コールバーグ・クラビス・ロバーツ、カーライルなどの運用会社と競合している[11][12]。
また、ブラックロック・グループ内の独立した事業部門であるブラックロック・ソリューションズ®を通じて、資産管理テクノロジーであるアラディン (Aladdin®)とオルタナティブ運用プラットフォームであるeFrontを金融機関及び機関投資家に提供している[13]。ブラックロックのアラディンはシティグループやBNPパリバなど海外の資産管理銀行のほか、日本では日本マスタートラスト信託銀行とも接続しており、運用会社のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進している[14]。
ブラックロックは、ゴールドマン・サックスやJPモルガン・チェース、モルガン・スタンレーなど米ウォール街の投資銀行にとって最大のトレーディング・パートナーであり、米国金融業界に大きな影響力を有する[15]。また、ジョー・バイデン政権では、ブラックロック出身者であるブライアン・ディーズとアデワレ・アデエモがそれぞれ国家経済会議委員長と財務副長官に就任するなど、政財界への影響力を強化していることが指摘されている[16][17]。
アメリカの資産運用業界、特にインデックス運用においては寡占化が進んでおり、上位3社であるブラックロック、バンガード・グループ、ステート・ストリートは「ビッグ・スリー」と呼ばる[18]。ビッグスリーはアップルやマイクロソフト、コカ・コーラ、ゼネラル・エレクトリックなど米大企業のほとんどを所有し、S&P500にいたってはその90%近くにおいて、最大の株主となっている[18]。議決権を通じた社会への影響力が高まっているとの指摘をうけ、近年では投資先企業への議決権行使を委譲するなどの施策が行われている[19][20]。
同社は1999年にニューヨーク証券取引所に上場している。S&P100、S&P500、ダウ・ジョーンズ USなどの株価指数において、構成銘柄の一つとして採用されている[21]。
歴史[編集]
- 1988年 ユダヤ系アメリカ人のローレンス・フィンク(英語版)らが、ブラックストーン・グループ債券運用部門としてブラックストーン・フィナンシャル・マネジメントを設立した。創立者のうち4人がファースト・ボストン(現:クレディ・スイス)出身者であった。フィンクが仕掛けたことで、不動産担保証券取引がファースト・ボストンモーゲージ部門でブームとなっていた[22]。ブラックストーン時代のフィンクは同社のパートナーとして、年金基金等の資産運用を受託していた[22]。
オービス2007まで[編集]
- 1995年 報酬を巡ってブラックストーン創業者の1人であるスティーブン・シュワルツマンとフィンクが対立し、債権運用部門がメロン財閥(ピッツバーグ)のPNC Financial Services Groupに売却された。創立者はフィンク、ロバート・カピート(ファースト・ボストン)、スーザン・ワグナー(リーマン・ブラザーズ)となり、当時の運用資産額は230億ドルであった[23]。
- 1999年 PNCから1080億ドルの運用資産を継承、株式を公開しフィンクら共同経営者がブラックロックの86%を所有した[22]。
- 2000年 インターネット・バブルで利益を上げ、ブラックロック・ソリューションズ®︎を独立ユニットとして設立。
- 2002年9月 ボストンのヘッジファンド(Cylennius Capital Management)を買収[22]。
- 2003年4月 ヘッジファンドを束ねるファンド・オブ・ファンズ(HPB Management LLC)の主要株主となった[24]。
- 2005年1月 メットライフからステート・ストリート・リサーチ・マネジメント(SSRM Holdings Inc.)を買収した際、176億ドルのミューチュアル・ファンドをふくむ、およそ500億ドルの運用資産、およびエクイティ・ビジネスの営業網を継承[22]。
- 2006年10月 メリルリンチ・インベストメント・マネジャーズ[注釈 1]と経営統合。メリルリンチが49.8%を出資する筆頭株主となったが(PNCは34%)、その影響でブラックロックの力点がエクイティ市場に傾き、ミューチュアル・ファンドにおいてフィデリティ・インベストメンツに追い抜かれた[22]。
バークレイズの世界決済[編集]
- 2009年12月 バークレイズPLCより100%子会社のバークレイズ・グローバル・インベスターズ(当時の業界1位)を現金(借入を含む)と自社株式(19.9%)の合計135億ドルにて買収した[22]。バークレイズ・グローバル・インベスターズが提供していた指数連動型上場投資信託(ETF/Exchange Traded Funds)の、全世界におけるトップブランドである「Iシェアーズ(iShares)」を、ブラックロック証券が承継した。さらに、ブラックロック・ジャパンとバークレイズ・グローバル・インベスターズ株式会社が経営統合した(ブラックロック・ジャパン株式会社)[注釈 2]。
- 2010年11月 バンク・オブ・アメリカによる株式売却を受け、みずほフィナンシャルグループが2%相当のブラックロック・ジャパン株式を取得した。2010年PNCもかなりの規模でブラックロック株を売却している(支配率21%に低下)[22]。
- 2011年 バンク・オブ・アメリカが、自社で保有するブラックロック株を全て売却した[22]。
- 2012年 バークレイズによる株式売却を受け、ブラックロックが自社株を買い戻したり、ブラックロックの資金を融通した者が買収したりしたが、その結果翌年にかけて、40人いたファンド・マネージャーの半分以上がリストラされた[22]。
- 2015年11月12日 ユーロクリアおよびクリアストリームと共同で20のIシェアーズを国際決済網へ移管することになった[注釈 3]。上場投資信託市場は先のリストラがなされてから世界規模で一層めざましく発展していた。
ESG活動[編集]
2008年のリーマン・ショック以降、欧米では投資家の関心が短期的経営指標から長期的経営指標に変化し、「環境・社会・企業統治(英語版)」重視の投資への関心が高まったことから、国連も責任投資原則を提唱して国連環境計画や国連グローバル・コンパクトがこれを推進しているが、2022年、欧州において武力紛争が勃発したことにより、ブラックロックの運営するESG重視の上場投資信託(ETF)で世界最大の「iシェアーズ ESG アウェア MSCI 米国」が軍需企業レイセオン・テクノロジーズや大手石油企業エクソンモービルなどの株式を保有していることが指摘された[25]。
主要な上場企業の株主であるブラックロックは毎年投資先企業の経営者に対して書簡を送付している。2021年はステークホールダー資本主義やサステナブル投資などをテーマにしており、「サステナブル(持続可能)なビジネス慣行を重視しない企業は取り残される」と警告した[26]。