大竹まこと、森永卓郎さんを追悼「若くていい生き方だった」ラジオ番組で15年以上にわたって共演
スポーツ報知
大竹まこと、森永卓郎さんを追悼「若くていい生き方だった」ラジオ番組で15年以上にわたって共演
1/29(水) 16:44配信77
大竹まことが思い 森永卓郎さんへ「激痛に耐えて…まねできない」ラジオ放送後に報道陣に語る
1/29(水) 16:44配信2
「大竹まこと ゴールデンラジオ」終了後、報道陣へ森永卓郎さんへの思いを語った大竹まこと
タレント大竹まこと(75)が29日、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」(月~金午後1時)の放送終了後、都内の同局で報道陣の取材に応じ、28日に67歳で亡くなった経済アナリスト森永卓郎さんへの思いを語った。 【写真】岸博幸氏「ガン闘病の同志」森永卓郎氏と肩組み2ショット 森永さんは27日、同番組にリモートで出演。その丸1日後に亡くなった。「私の番組にリモートで出た時は体が傾いていて、かなりの激痛だろうと」と放送中の様子を振り返り「あの激痛に耐えて最後まで番組に出て、まねできない」と語った。 病気と闘いながら出演を続け「『地下鉄の階段が壁のように見えて、上るまでに10分ぐらいかかる』と言っていた」と明かした。昨春までは持たないと告げられていたことも明かし、「それから1年ぐらい元気でいらした。67歳で年下になりますけど、自分の意志を貫いて、誰が敵でも信念を貫いた。見習おうと思うけど、多分そんなに強くは生きられない。そう思いながらご冥福をお祈りします」と言葉を絞り出した。 森永さんは08年10月から、約17年にわたり同番組にレギュラーで出演。この日の番組冒頭で大竹は「この番組のリスナーとの約束を破り、そして私との約束も破り、見事にバットを振り切って森永卓郎が亡くなりました」と語っていた。
タレントの大竹まことが29日、パーソナリティーを務める文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」(月~金曜・午後1時)の出演後に報道陣の取材に応じ、28日に原発不明がんのため亡くなった森永卓郎さん(享年67)を追悼した。 2時間30分の生放送を終えた直後、自ら報道陣のもとに足を運び、約10分間にわたって取材に対応。2008年から15年以上にわたって同番組で共演した森永さんについて「乱暴でありながら自分の意思を貫いて、ダメなことには文句を言う。信念を貫いた。(自分も)見習おうと思うけど、そんなに強く生きられないだろうな」としのんだ。 森永さんは、亡くなる前日の27日にもリモートで同番組に出演。画面越しに森永さんの様子を目にしていた大竹は「砂山圭大郎(アナウンサー)としゃべっている途中で目を見合わせて『これは相当やばいぞ』と思っていたけど、そんなこと番組の中で口に出すわけにはいかない。だから、『また来週ね』ってエールを送ったつもりなんだけどね」と明かした。 昨年11月には、番組のイベントで森永さんが歌唱姿を披露しており「『来年も歌うぞ。約束ですよ』という話をして、観客もその言葉に拍手を送ってね。勇気をもらった方はたくさんいらっしゃると思います」としみじみ。涙をぐっとこらえる様子も見せた。 印象深い思い出について、晩年に毎週欠かさず森永さんが育てた野菜をプレゼントしてくれたことを挙げ「サツマイモとかキュウリとかナスだとか。全部おいしいの。あんな体なのに重たい野菜を持ってきてくださる。思い出深いですね」と回想。森永さんの顔を思い浮かべながら「失礼な言い方だけど、若くていい生き方だったんじゃないかなと思いますね」としのんだ。 大竹はこの日、番組開始の約1時間前に神妙な面持ちで東京・港区の文化放送に姿を見せた。番組冒頭では「えー…、えー…、えー…」と声を詰まらせながら「この番組のリスナーとの約束を破り、私との約束も破り、見事にバットを振り切って森永卓郎が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします」と訃報を伝えた。 番組内では、森永さんについて「もうね、とにかくすごい男だった」とポツリ。27日の出演時について振り返り「想像ですが、かなりの激痛に堪えて、体をくの字に曲げて左に傾きながらあらん限りの力を振り絞ってメッセージをいただきました」と感謝を口にした。 森永さんは2008年から「ゴールデンラジオ」にレギュラーとして出演。23年末に余命宣告を受けた後も出演を続けていたため、大竹が度々「死ぬ死ぬ詐欺」と言い放っていたが、訃報を受けて「詐欺じゃなくなっちゃったよ…」と悲しみをにじませていた。
報知新聞社