
2021年11月26日からとうとう現世界チャンピオンのカールセンとニポーニシの世界チャンピオン決定戦が始まりました。ゲームの解説をYoutube動画に上げている人も既におり、出遅れてしまった感がありますが、当ブログでは私のコラムとして少し視点を変えた話をしようと思います。
私がチェスを始めたころ 2003年ごろ
今では想像も付かないですが、私がチェスを始めた2003年ごろは世界チャンピオン戦をどうするのか混乱している時期でした。
というのも、当時は世界チェス連盟(FIDE)とプロフェッショナルチェス協会(PCA)がそれぞれ世界チャンピオンを擁立しており、2人の世界チャンピオンが存在していたからです。しかも、世の中の人達はFIDEが公認した世界チャンピオンよりもPCAの世界チャンピオンを(たぶん)認めていました。
それには理由があり、FIDEが開催していた世界チャンピオン戦は、挑戦者を選考した後に世界チャンピオンに挑戦するという伝統的な世界チャンピオン戦の方式ではなく、毎年トーナメントを行い、勝ち上がって優勝した人物を世界チャンピオンにしていました(現在のワールドカップの形式です)。
このような方式では、本当に一番強いプレイヤーを決定できるのか疑問が残りますし、実際に毎年異なるプレイヤーが優勝し、世界チャンピオンになっています。
一方で、当時のPCAの世界チャンピオンは2000年にカスパロフをマッチ形式で破ったクラムニクでした。
カスパロフの引退と統一世界戦
カスパロフの引退
当時のチェス界を混乱させていたもう一つの要因が、カスパロフの存在でした。当時は世界チャンピオンではありませんでしたが、実力的には世界一で、レーティングも大会での成績も抜群でした。
このため、カスパロフ、PCA世界チャンピオン、FIDE世界チャンピオンが並び立つ面倒くさい時代だったわけです。
そのような中、2005年の3月にカスパロフが突然引退を宣言します(リナレス優勝を決めた直後でした)。なかなか世界チャンピオン戦が統一されないことに嫌気がさしたともいわれています。
しかし、このカスパロフの引退によって逆に物事を決めやすくなったのかもしれません。世界チャンピオン戦の統一に向けて動き出します。
世界統一戦へ
2006年、FIDEは当時のトッププレイヤー8人によるダブルラウンドロビンのトーナメント(すべてのプレイヤーが総当たりで白番黒番共にこなす)を開催し、優勝したプレイヤーを世界チャンピオンとすることにしました。当然ながら、クラムニクは自分が世界チャンピオンであるという権利を主張し、結果的にはこのトーナメントの勝者とクラムニクが世界統一戦のマッチをすることに落ち着きました。
このダブルラウンドロビントーナメントはSan Luisで行われましたが、そこで勝利したのがトパロフでした。素晴らしいパフォーマンスで他を圧倒し、文句なしの優勝でした。
スキャンダラスな世界統一戦

クラムニクとトパロフのマッチにより、長らく分裂していた世界チャンピオンが統一されたとみんなワクワクしていました。しかし、その世界戦は悲惨な泥仕合になってしまいます。
初戦、2戦目と クラムニク が連勝し、マッチをリードします。これはクラムニクが勝つのかとみんなが思った頃、とんでもないことが起こります。
トパロフのマネージャーであるDanailovが、クラムニクが対局中にトイレに行き過ぎている、おかしいのではないかと主張したのです。当然ながらクラムニク陣営は激怒、クラムニクは第5局に現れず、トパロフの不戦勝になります。
とはいえ、まだクラムニクがマッチをリードしていました。ところが、第8局、第9局をトパロフが連勝し、逆にリードを奪います。トパロフの1勝分は上記のトイレスキャンダルへの抗議ですから、このままトパロフが世界チャンピオンになったらまずい気がする、、、と世界中の人が思いました。というか、たぶんロシアが黙っていない。
幸いなことに、クラムニクは直後の10局目で勝利し、マッチをタイに戻し、その後のタイブレークのラピッドゲームで勝利して世界チャンピオンを防衛しました。
このマッチ以降、この二人の対戦では握手もしませんし、目も合わせなくなりました。
スキャンダルの要因
誰もが待ち望んだ世界統一戦がなぜこのようなことになってしまったのか、要因がいくつかあると思いますが、私はトパロフのマネージャーの Danailovとロシアの存在にあると思っています。
Danailovとは
当時のトパロフのマネージャーであった Danailov は評判の悪い人物でした。私も詳しいことは知りませんが、いわゆる「声が大きい」人物で、自分に優位に物事を運ぼうとする人物という印象です。金銭的な不正を理由にしてFIDEからペナルティーを受けたこともあります。
ただし、トパロフ自身はDanailovをとても信頼しており、「彼が一緒にいると落ち着く」と話しています。もともとメンタル面に問題を抱えていたと思われるトパロフが、世界チャンピオンクラスのプレイヤーになった要因は彼にあると考えて間違いないでしょう。
ロシアが世界チャンピオンを守れるか
2021年現在のチェス界からはあまり想像が付かないですが、当時のロシアにとってはチェスの世界チャンピオンを防衛することは重要であったと思われます。なにしろ、アレヒンの時代から、フィッシャーの数年間を除いてずっとロシア(ソ連)が世界チャンピオンを守っていたからです。
世界戦後のNew in chessのトパロフのインタビューによれば、世界戦の会場はロシアで、自動小銃を持ったロシア兵に警備されており、かなり緊迫感のある雰囲気であったそうです。また、マッチの前からロシアのチェスプレイヤーから、トパロフが不正(AIの利用など)をしているのではないかという誹謗中傷もあったようです。
3強時代

カスパロフの引退以降、上記のクラムニク、トパロフに加えて、アナンドの3人が一つ頭抜けた存在であるとみなされるようになりました。もちろん、元々強い3人だったのですが、強い強いカスパロフがいなくなったことで、「あ、この3人が強かったんだ」と世間が気が付いたような気がします。
2007年、クラムニクを含めた8人のトッププレイヤーによってダブルラウンドロビンの大会が開かれ、そこで優勝したアナンドが新たに世界チャンピオンになります。
今、「え!?」と思ったあなた、あなたは正しいです。
せっかくマッチ形式の統一戦をしたのに、ダブルラウンドロビンの大会で決めるなんて、、、そのような批判が当然あり、なんだかんだでアナンドとクラムニクの間で世界チャンピオン戦のマッチが開かれます。
この二人のマッチの結果アナンドが勝利!若いころから天才として名を馳せていたアナンドがようやく世界チャンピオンになりました(FIDEのノックアウト式では世界チャンピオンの経験がありますが)。このマッチではスラブディフェンスのゲームが印象に残っています。クラムニクが白番で全く同じ変化で2敗し、マッチの行方が決まりました。
次の2010年の世界戦ではトパロフが挑戦者になります。アナンドはこのマッチにも勝ち、とうとう3強時代の覇者となったのです。
こうなってくると若い次代のプレイヤーの挑戦を待ちたいところですが、2012年の挑戦者トーナメントに勝ち上がったのはベテランのゲルファンド。この挑戦者トーナメントには、既にレーティング的には世界一であったカールセンが挑戦者トーナメントの形式を理由に棄権するなど、残念な部分もありました。恐らく最初で最後の世界戦となるゲルファンドのモチベーションは高く、先勝するなどかなり競ったマッチになりましたが、タイブレークの末、アナンドが勝ちました。
カールセン君臨す

2013年、満を持して挑戦者トーナメントに参加したカールセンがアナンドの挑戦者になります。この当時の世間の印象は「まぁ、カールセン勝つよね」でした。レーティング的にも大会での成績的にも既にカールセンの実力は抜けており、普通に考えれば勝つだろうと思っていました。
実際、カールセンは10Rまでに3勝し、12試合のマッチを最後まで指す必要もなくアナンドを下しました。
このマッチ以降新世代のプレイヤーが活躍すると思っていたのですが、2014年、挑戦者トーナメントを勝ち抜いたのはアナンドでした。実は、2013年の挑戦者トーナメントでもクラムニクがカールセンと同ポイントでタイブレークでカールセンが挑戦者になっていました。また、2014年の挑戦者トーナメントでもクラムニクは3位に入っており、いまだ3強(2強?)強しという印象がまだありました。個人的にはカールセンとクラムニクのマッチを一度見たかったという気持ちがあります。
ドローが多い世界戦
2014年に再度アナンドを下して以降、カールセンは2016年にカリャーキン、2018年にカルアナの挑戦を受けています。どちらのマッチでも長い持ち時間のマッチでは全てドローで、タイブレークの早指しのゲームで挑戦者を下しています。もちろん、トップレベルのチェスはドローが多いので、仕方がない部分も多いのですが、やや面白みに欠けます。
これに関連して、先日今回の世界戦についてのカスパロフのコメントに面白い内容がありました。
カールセンは最近の世界戦では早指しになれば勝てるからという戦略で戦ってきた。しかし、ニポーニシはカリャーキンよりも早指しが強いし、カルアナよりは遥かに強い。ここ2戦で取ってきた戦略が使えないので面白くなるかもしれない。
カスパロフのインタビューより
カスパロフの分析は興味深いですが、マッチの展開はどうなるのか、見守りたいと思います。
まとめ
今回、私がチェスを始めてから今までのチェスの世界戦の流れをまとめました。今回の世界戦も「カールセンの君臨」の物語の一編に過ぎないのか、新たな時代が訪れるのか、結果が楽しみです。