フランスが1930年代にナチス・ドイツによる侵攻を防ぐべくつくり出した要塞群「マジノ線」。莫大なコストを投じたにもかかわらず、ドイツ軍の奇襲作戦によりマジノ線は機能せずフランス軍は敗北することとなる。いまなお残る要塞の跡を訪ねると、そこには独特の雰囲気が漂っていた。
そもそも日本人は、なぜフランス人が先進国の国民であるかのような幻想を抱いているのが不思議でなりません。 個人的にはフランス革命すら怪しいものだと思ってます。
フランス人はいますぐ「マジノ線」のことを忘れたほうがいい。フランスは1930年代に、11年と4億5,000万ドルを費やして450マイル(約720km)の田園地方に要塞を築き、ドイツの軍事化に対抗した。ナチスが1940年5月に侵攻してきたとき、彼らはただ単にそれを迂回しただけだったが。
このことをフランス人は、あれこれ思い悩むこともない。だが、アレクサンドル・グルカンジェは、魅力的な作品『The Line』を撮影するためにその要塞の残骸を10年かけて探索するほどマジノ線に魅了されてしまった。彼は、およそ500もの放棄された兵舎や砲塔などの建造物の写真を撮った。「わたしは少しばかり取り憑かれているんです」と彼は話す。「暇になると、わたしは見逃したかもしれないものをまだ探してしまいます」
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PHOTOGRAPH BY ALEXANDRE GUIRKINGER
ムルト=エ=モゼル県のブレエン=ラ=ヴィルの街にある、ブレエンの要塞は完全に地下につくられている。それらは約4,600フィート(約1.4キロメートル)の地下通路から分岐した10の区画から構成されている。これらの油圧式砲塔は、唯一地上に出ている要塞の部分だ。
その「線」は1本の線ではなく複数に分かれており、ところどころ15マイル(約24km)の幅でいくつもの層が重なっている。フランスは130万立方ヤード(約100万立方メートル)のコンクリートを注ぎ、15万トンの鉄柱を立て、数千の砲塔や塔、そして何千もの兵士をかくまえる掩蔽壕を建設した。それをフランスの「万里の長城」と呼ぶ者もいたが、実際はそうではなかった。フランスは塹壕戦を予想していたのだが、電撃戦になった。ドイツ軍は一気に攻めてきたのである。
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グルカンジェの家族はモーゼルに家をもっており、そこは特にマジノ線が厚かった。彼の祖母は壁が建つのを見たことも憶えている。彼は、子供のころに森を探検している間、苔むした残骸を何度も見た。2006年にその家を訪れたことが彼の関心を蘇らせたが、ファインアートの写真家たちがマジノ線をほとんど無視してきたことを知って彼は驚いた。「自分のやりたい方法でアプローチできることは写真家にとって非常に刺激的です」。そう彼は話す。
彼は最も面白いと感じた要塞に着目した。グルカンジェはインターネットや歴史に関する文章、Google Earth、印刷された地図を調べて旅行を計画したのだが、訪問先は全部で50カ所以上にも及んだ。4×5フィルムの大判カメラを担いで森や山を5時間もの長い間トレッキングに費やすことも珍しくなかった。
グルカンジェの写した崩落しつつある要塞の圧倒的な風景は、驚くほど現代的な雰囲気が漂っている。フランスはマジノ線が攻撃から守ってくれることを期待したが、多くの歴史家はそれが間違った安心感を与えたために実際はフランスを弱体化させてしまったと考えている(その効果はいまでは「マジノ心理」と呼ばれている)。欧米の政治家がこれまで以上に壁を求めるときには、そのことについて考えるべきだ。
(WIRED US)